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スケルツォと行進曲 Scherzo & Marsch S.177


1851年作曲
[雑感] 
 献呈されたドイツのピアニスト兼作曲家のテオドール・クラックや、リストの弟子であり、数々の伝説的逸話の残る超絶技巧の奏者、カール・タウジッヒでさえも公で演奏するには至らず、愛弟子の一人であるハンス・フォン・ビューローのみが弾きこなしたという伝説的難曲です。リスト本人以外の奏者が技巧的に難渋する姿を見て嘆いたためか自身でも演奏せず、よって曲そのものが伝説化した、という経緯を辿っています。作曲以来のまともな録音記録は1940年のルイス・ケントナーによる演奏で、この曲をより広範に知らしめたのはウラディミール・ホロヴィッツになります。ホロヴィッツによる1967年のライヴ録音は現在複数の収録盤があり、容易に聴くことができます。現在に至るまで、この演奏に触発されたアーティストは少なくありません。
 スケルツォとマーチの織り成す独特の世界観は、膨大なフランツ・リストによる作品の中でも群を抜く手堅さに特徴があります。割と自由な形式で書かれることの多かったリストの作品の中では、「糞」がつくほどに真面目と言える構造です。丁度時期的にはベートーヴェン第九の2台譜を書き上げる頃と重なっており、ケントナーは第九の構成に近い部分があるという指摘をしていますが、一般的には演奏会用大独奏曲(S.176)→スケルツォと行進曲(S.177)→ソナタ・ロ短調(S.178)の作曲順で成立過程や関係性を指摘されることが多いです。ソナタ形式の完成度の点でロ短調ソナタと対比的、あるいは同列で語られてしかるべき代物です。
 当時リストが自身で演奏しなかったという点も案外ロ短調ソナタに似ていて、極めて直感的に言及すれば、それだけ周りのピアノ奏者の演奏技術と解釈度量が追いつかなかったというのが実情だったのではないでしょうか。リストは大衆だけではなく常に自分以外の奏者の反応に敏感であり、こうした手堅い作品が当時から愛好されていれば、現在リストの中でも特に慎重に扱われるバラード2番などのワイマール期に書かれたオリジナル作品はもっと量産されていたかもしれません。いずれにせよ、リストの尋常ならざる独創性の塊であるこの楽曲は、今現在においても割りに合わない無残な扱いを受けています。
 
 さて、前段が長くなりましたが、内容について少し考察してみます。元の構想では「Wild Hunt(超絶技巧練習曲8番に移用された)」というタイトルであったものを、わざわざ「Scherzo and Marsch」とした真意を考えるならば、やはり作曲者自身が「スケルツォ」と「マーチ」の対照性に心血を注いだのは確かです。両手を使ったトリルによる主題で展開され、不協和声を効果的に従えたメフィストフェレスのスケルツォに対し、前打音によりアクセントが強調されて高らかに響き渡る軍神のマーチという構成は、聴き込むほどに見事なかみ合わせです。リスト特有のオプティミスティックな結論として、変ロと変ホの調性が絡み合ってニ長調の調性で終結するのも重要なポイントと言えます。バラード1番におけるマーチの役割とは別次元の、極めて上質な融合を果たしています。ケントナーによれば、「悪魔(スケルツォ)と神(マーチ)の宗教的な争いが起こり、最終的には神(マーチ)が勝利をおさめる」様子とあります。であれば、おどろおどろしい不気味な侵食・跋扈と、洗練凝縮され、粛々と突き進む裁きの進退をいかに鍵盤で表現するのか。行間を読む読譜力もさることながら、攻防に優れた狡猾なメカニズムによる物語の描出は果てしない難業です。以前、私は軽い気持ちでこの作品に取り掛かっていましたが、自己の表現力の乏しさが暴露される危険な作品であるということにしばらくたってから気付きました。
 
S.177-1 主題の序奏は「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」にも見られるリスト特有のクロマティックな助走的音型です。小節目、3小節目の16部音符は「浮遊感をもって」の但し書きがあります。アレグロ・ヴィヴァーチェ・スピリトーゾですが、主題にははっきりとpとppが指示されており、一切のアクセントやクレシェンドやデクレシェンドも削ぎ落とされています。メフィストフェレスがひっそりと現れ、静かに足音が聞こえてくるようです。このシンプルさが余計に不吉を予感させます。

S.177-2 表現主題の冒頭にあるような両手交差の連続和音トリル(超絶技巧練習曲10番などに見られる)はリストに関して言えば珍しくない手法であり、内容としても指に無理をさせるようなものではありません。しかし、63小節目より始まる右手の高速展開部分(指使い231451→231541の16分音符の連続)は、「怒りを込めて第1版」「鬼火」などにも見られる単純に演奏困難な箇所です(右のEMB譜例)。右手5・4運指の独立をマスターして美しく仕上げるには、それなりの鍛錬が必要となります。また、60、62小節目にある頭の8部音符からの16部音符への左手の跳躍も鬼門です。跳躍の正確性とトレモロの敏捷性が同時に問われます。

S.177-3 転調主題を終えてからのフーガに入る前のクレシェンド、16部音符内包型の符点進行もキーポイントでしょうか。(右図EMB版参照)。ここは悪霊による「thin smile(薄笑い)」のイメージがピッタリです。それまでのひっそりとした立ち振る舞いから、徐々に数を増して一気に襲い掛かるような、気味の悪い5度と3度の和声がジワジワと盛り上がっていきます。存分にペダルに頼ってしまうのが得策です。また、中にあるクレシェンド・デクレシェンドはここだけの特別な指示ではなく、大きなクレシェンドの流れの中でも細やかなアーティキュレーションをせよ、という意味なのでしょうが、これをスムースに実践するのも意外にハードです。

 主題の各終結には、「雪嵐」「バラード2番」に見られるような左手の半音階昇降もあります。また、最後のストレッタ部分に代表される左手の伴奏オクターブですが、拍子遅れしないよう敏速にオクターブ移動をこなす力も必要です。割合すっきりとした譜面でありながら、多面的にリスクが高いのが「魅力」でもあります。
いずれにせよ、「リストを代表する作品」の中に堂々とS.177が入ってくる日を待ち望んでいます。

[推薦盤] 
・デミジェンコ(Hyperion CDA66616)
・クリダ(DECCA 4764035)
・ハワード(Hyperion CDA66811/2) 
 上記のホロヴィッツ(Sony SK 53471他)の録音は「ホロヴィッツ編」と呼ぶべきほどに手が加わっており、かなり自由に省略され、独自のつなぎが入っています。演奏の質を含めて言っても、あえて積極的に推薦する理由はありません。打鍵がクリアなのはコーエン(NOVELLO RECORDS NVLCD 110)ですが、テンポが緩く、やたら安定的な土台が曲想に合っていない印象です。それと同様の理由であまり推薦できない録音は多数あります。デミジェンコはご他聞に漏れず頑強な拍取りで、トリルの粒もきっちり揃っていますが、緻密なようで案外穴の多い解釈や、不自然な譜読みミスが多々気になります。総合点で最も評価できるのはハワードです。ダブルオクターブでのリズム感がフラつきがあったりなど、骨子が危ういところもありますが、薄気味悪さが効果的に発揮されるピアニッシモの浮遊感やテンポ、重量感の濃淡など、あらゆる音響バランスの良さが感覚的にシックリきます。ボリュームを大きめにして聞かれると、より凄みが伝わってくるでしょう。クリダの演奏はデミジェンコ同様マーチ部分のテンポが抑えられ過ぎていますが、他のピアニストにない鮮烈なアーティキュレーションの工夫がちりばめられています。




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