
パガニーニ大練習曲 Grandes Etudes de Paganini S.141
1番 1851年作曲(改訂)
[雑感]
「トレモロ」の仮称で親しまれる一曲。曲集の中では地味な立場にありますが、左手の練習曲としての活用度は高そうです。取っ掛かりで苦労することはありませんが、綺麗な完成を見るまでには課題が多く、聴くよりも遥かに困難の多い曲です。始まりのスケールはもちろんですが、前奏後から始まる左手のトレモロを俊敏に、そして均一かつ指示通りマルカートで弾きこなすのは至難の業です。粒の揃ったレガートへの意識が問われます。ペダリングによって骨格が随分と異なってくる点も注意が必要とされます。ヴァイオリンの原曲、題材となった24のカプリースの5番と6番を聴く限り、Non troppo Lento(あまり遅すぎず)の指定は意外です。
[推薦盤]
・ワッツ(EMI TOCE-6622)
最初のスケールから存分に見得を切るなど、職人的です。左手のトレモロも余計な雑幅がなく、非常に滑らかです。磨き抜かれた芸術的練習曲集の一曲目を飾るにふさわしい出来。盛り上がり部分のツボも押さえており、いわゆる「聴かせるため」に何をすればいいのかを教えてくれます。廃盤ですが、表情豊かなアニエヴァス(EMI SAN-51)もかなり聴き応えあります。
2番 1851年作曲(改訂)
[雑感]
「オクターブ」の仮称で親しまれる2番。24のカプリース17番によるものです。パガニーニ大練習曲の中では普通のリサイタルというよりもコンクールで選曲されるケースが目立つように思います。一拍に16部音符をスッキリと収めるためには、より素早い音階練習が必要になります。もちろん粒がグダグダになってしまっても格好がつかないですが、拍をオーバーして重量打鍵にこだわる演奏もまた感興を損います。リストを弾きこなす技巧をどのように考えるのか、という各人のスタイルが明快に示される作品です。
[推薦盤]
・アムラン(Hyperion CDA67370)
一般的なスキルでは思うようにインテンポを保てない曲も、やはりアムランの手にかかると余裕を持って見事に拍に収まります。スリルに満ちたギリギリの演奏のという意味ではヴァーシャリの方が楽しめますが、お手本としてはアムラン一択かもしれません。
3番 「ラ・カンパネラ」 La campanella 1851年作曲(改訂)
[雑感]
リストと付き合いの長い人がウンザリするほど、常に人気絶頂の作品。原曲であるヴァイオリン協奏曲1番と2番から完全に独り立ちし、クラシックピアノ作品の代表格的地位にまで上り詰めた感があります。ピアノに関心のない人までもを強力に惹き付けるメカニカルな作品という意味では、リストの全作品の中において右に出る曲はないかもしれません。
トリル、半音階の俊敏さなどがモノを言う、まさに「リスト弾き」のための一曲でしょう。飛散する音符群をいかに軽やかに、そして繊細に総統するかが勝負。ちなみに全音ピースでの難易度レベルは最高のFではなくEで設定されていますが、特色ある音型で固められているので、妥当性については個人差があるかと思います。手癖がぴったりあっている人は素人でも第一級の演奏が望めるし、熟達した音大生でも手こずる人は手こずる曲です。
さて、 私のこだわりは右のEMB版の譜例に見る最後のコーダ前にある強弱指示。デクレシェンドです。 ここにはpianoといったような指示こそないものの、最後のクレシェンドを待ってアニマート部分のフォルティッシモに突入するわけですから、対比のために一度グッと音を絞りたいと感じます。大抵の演奏家はこのデクレシェンドを採用せず、114小節目からクレシェンドを取ります。同様の解釈を披露しているピアニストにはレヴィツキ、ブレンデル、ダルレ、スレンチェンスカがいます。ちなみに春秋社版では逆に長いクレシェンドがあり、121小節目には逆にフォルテと指示されています。この違いについては、みなさんも実際弾いてみて比較していただきたいと思います。
[推薦盤]
・ワッツ 1985(EMI TOCE-6622)
・ルバッキテ(LYRINX LYR 156)
ご多分に漏れないアムランの滑らかな演奏は、どこか迫真足りえず。その点、聴かせどころで魅せるのはやはりワッツです。アクセル加速感、オクターブ連打、打鍵粒の立ち方など、天性のヴィルトオジティを遺憾なく発揮しています。ちなみに、最近話題のユンディ・リの演奏は、表情の作り方こそそれらしいものの、高速パッセージで大胆に左手の省略をかましているのが玉に瑕。女流のルバッキテは、粘り、溜めといった瞬間的な変化、敏捷性が高く、ワッツに準じる名演を残しています。
4番 1851年作曲(改訂)
[雑感]
原曲である24のカプリース1番をほとんどいじっていないという点で、評価が下がっていることが多いようですが、大衆向けに大幅に簡易化された2版であるということを思い起こせば、あまり有用な評価とは思えません。さておき、ラ・カンパネラの如く、原曲に即したシンプルな第2版の出来栄えは、まさにリストの本領発揮。ショーピースとして単体で扱われてもよいとは思いますが、見た目簡素な一段譜とは裏腹に、非常に精密で高度な跳躍を求められる練習曲です。勢いがあれば「形」にはなりますが、3度下降に容赦なくスタッカートがついていたり、全体に流れるような美的な起伏を追求すると、かなりハードルが上がってきます。実際、プロの演奏家もよく耳を澄ましてみるとバラついていることが多く、文字どおり、ピアニスト泣かせの一曲です。
[推薦盤]
・清水和音(SONY FCCC50167)
・アムラン(Hyperion CDA67370)
・ルバッキテ(LYRINX LYR 156)
ある特定のメカニックに対する向き不向きがはっきり表出するので、精度の差やテンポにはっきりとした違いが出る作品です。斬新なペダリングを見せる清水和音は高速かつ流麗な手さばき。アムラン、ラエカリオに匹敵する最速盤でもあります。(しかしながら廃盤です)。アムランは次点。ルバッキテは目のさめるような躍動感、手元でグッと伸びる音列が誰の演奏よりも個性的です。
5番 「狩り」 La chasse 1851年作曲(改訂)
[雑感]
24のカプリース9番の編曲。リストのお気に入りだったと見え、この51年版は3つ目の改変版です。(後半の展開について38年度版の方が好きですが)。基本的に曲集の中でも最も平易な作品です。ただ、33小節目からの交差による内声旋律に関してはちょっとした正確性が求められます。 私のこだわりは70、74、86、90各小節にあるグリッサンド。 譜例はEMB版の86小節目です。注意すべきは14連符とかかれていることなのですが、リスト研究で有名な野本氏風の主張で言うと、これは「野暮」ということになりましょうか。(野本氏はEMBの連符表示に否定的です)もちろん春秋社版には連符表示がありません。しかし、私はあえてこの14連符の表示には合意です。そもそも4分の2拍子なので、64分音符2つ分、つまり本来は16個入るべきところを14個にする、そしてそれは前の小節でしっかりと64分音符8つ分こなしたところからのスタート、という細かいことになるのですが、このことをしっかり意識して弾く場合と、ただ無意識にグリッサンドを入れる場合、音楽的な輪郭に歴然とした違いが出てきます。グリッサンドをまるで拍の始まりのように弾き始めるのは明らかにエラーだというのは言うまでもありませんが、「自分が弾いても格好がつかない」と首を傾げている人にはEMBで見られるような後半の連符感覚を参考にするとよいのではないかと思います。ミ、ド、のオクターブのあと、同拍を一つ置いてグリッサンドを始め、8つ目の続きからは新たな意識でつなげると(明確に分けてはいけませんが)、恐らく疑問は解消します。
[推薦盤]
・ワッツ 1985(EMI TOCE-6622)
・ルバッキテ(LYRINX LYR 156)
・アラウ(Dante HPC001)
始まりの「フルートを模して」部分の柔らかい表現が絶妙なワッツ。33小節目からのマルカート部分はアムランの手際の良さ。最後のウン・ポコ・アニマートからの助走テンポで比較すれば、ダントツでラエカリオ(ONDINE ODE 777-2)です。しかし、ここであえて紹介したいのが1928年のアラウでしょうか。ラエカリオに並ぶ猪突猛進ぶりで駆け巡っていきます。全体的によく譜面が見えているのはルバッキテです。始めのノンレガートでのエコーを見逃しません。強弱による対比の仕掛けがいかに大切かを痛感する超秀演です。
6番 1851年作曲(改訂)
[雑感]
「主題と変奏」の仮称で親しまれる、24のカプリースの終曲編曲。同一主題を使ったピアノ変奏モノと言えば、たとえばシューマン、ブラームス、ラフマニノフなどが有名ですが、いずれにせよリストの編曲の前には2番煎じにもならないほど。世にも鮮烈で濃密な編曲を残しました。38年の第1版をよりシンプルに、そして要点を過不足無く切り詰めたリストの編曲は、和声感、装飾フレーズの効果的なつなぎなど、随所にピアニスティックな表現を生かすための工夫が見られます。メカニックと音楽性のバランスという点であらゆるリストの編曲の中で最も完成度の高い作品と言っても過言ではないでしょう。個人的に注目しているポイントを簡潔にまとめます。
(1)主題冒頭
右の譜例をご覧ください。よく見ると分散和音後のラドシラの音列は、一音目のラだけが32分音符です。この意図を理解し、厳密に実践しているのは、私が知る限りアンドレ・ワッツただ一人であり、その演奏では見事に冒頭のリズム感覚が引き締まっています。 一拍目の分散和音と一音目のラの間は非常に重要であり、ラの俊敏な連打によって32部音符と16部音符の違いを明確に出せます。
(2)第7変奏
EMB版の136小節目の反復指示、春秋社版では反復記号がありません。俳句の五七五ではないですが、この反復は主題から貫かれている8小節(各旋律4小節を一度反復)のまとまりで構成されており、春秋社版のようにリストがここだけ4小節で済ませると不安定でバランスがとれない、というのが持論です。かなり多くのピアニストが反復なしを採用していますが、個人的にテンポを緩めすぎるとこの感覚に気づきづらいのではないかと考えています。いずれにせよ、リストがしばしば反復指示を省略する人であったことを思い起こしてしかるべき箇所かと感じます。
(3)第11(最終)変奏
EMB版の192小節目の譜例です。ここで重要だと個人的に思うのは2の指でとれと指示のついた左手の拍後打ちラドシラの旋律です。この内声の強調は非常に合理的です。私は次の小節にある右手、ミソファミの和音旋律を呼応と捉えています。もし最初の小節で左手の低音和音の方のラドシラを重視しているとすれば、それは恐らくリストの意図ではないでしょう。なぜなら右手の和音旋律も16分音符を待ってからの後打ちだからです。 後打ちの左手ラドシラに対して、後打ちの右手のミソファミ。この対応関係が美しく決まっているのはやはりただ一人、ワッツのみです(ウーセやアニエヴァスはワッツと同様の解釈です)。
[推薦盤]
・ワッツ 1985(EMI TOCE-6622)
これまで散々に推挙してきたワッツですが、その芸術性はこの6番で最も顕著だと感じます。アムラン(Hyperion CDA67370)は、上記で述べたようにコンパクトを目指す方向性が仇となっているし、アラウ(Dante HPC001)やラエカリオ(ONDINE ODE777-2)のようなテンポ最優先の演奏は、やはり犠牲も多くなってしまいます。ウーセ(EMI 7243 5 85057 2 6)、ブランカール(KOCH DICD 920423)、オット(ram 50402)など小奇麗なメカニズムを聴かせるピアニストは複数いますが、ワッツと双璧をなすような演奏にはまだ出会っていません。
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